ニット帽を手放せない自分
私は、ニット帽なしには、外に出ることができません。
なぜなら、外出先で誰かに出くわすのが、この上なく怖いからです。
私がニット帽を被り始めたのは
過労で心身の調子を壊し、休職してから。
休職中、ずっと人の目を気にし、生きています。
「誰かに会ったら、なんて状況を説明すればいいのか…」
そんな不安がベッタリ心にまとわりつきます。
休職してスグ、私は人生で初めて、ニット帽を買いました。
ニット帽を目深に被り、マスクすれば、顔はほとんど見えません。
ニット帽は、外の世界から私を護ってくれるマストアイテム。
けれど、最近、息苦しさを感じるんです。
「コソコソ生きることが、つらい…」
笑われるかもしれませんが、
社宅に住んでいるため、ゴミ捨ても必死です。誰かと会わないよう、
全速力でゴミ捨て場に走り、家に駆け戻る自分…
会社と連絡するのが、とてつもなく怖い自分…
連絡をしようとするたびに、汗が噴き出て、ガクンとエネルギーが落ち、寝込むことも度々あります。
情けなくて、たまりませんでした。
私には、一社会人として基本的な何かが欠けている、とさえ思いました。
自己開示で人生を切り拓くSNS仲間
そんなとき、何気なく、メールを見ていると、あるメールが目に止まりました。
SNS仲間の配信するメルマガです。
読み進めると、頭をガツンと金槌で殴られたような衝撃を受けました。
そのメルマガでは、その方が、
ご自身に起きた辛い出来事を、
とても「軽やか」に、打ち明けていたのです。
また、メルマガには
「信頼できる方に自己開示し、人生の大きな決断ができた」とも書かれていました。
「スゴイ、こんなに軽やかに自分の悩みを打ち明け、人生を切り拓くなんて…」
もちろんその方からすれば、とても勇気のいる行動だったことでしょう。
けれど私から見ると、その自己開示は、とても軽やかなものに見えたのです。
「私もこんな風に心の内を話したい…」。
私は心の底から、憧れを抱きました。
弱さを受け入れるには、打ち明けるしかない
その方と私の差は何なのか。
それは「自己開示の量」だと思いました。
少し話は飛びますが、精神科医・樺沢紫苑さんは、ご著書『インプット大全』で次のようにおっしゃいます。
『アウトプットできた量がインプット量に相当する』
これは、「自分の弱さ」にも当てはまるのかもしれません。
「自分の弱さを受け入れよう」って、いくら頭で考えても、なかなか受け入れることはできませんよね。
結局は、弱さをアウトプット(自己開示)することでしか、弱さを受け入れることはできないのかもしれません。
ただ心の内を語るだけでいい
とはいえ、自己開示をすることは、恐怖を伴います。
上手く話せる自信がない…
しどろもどろになる自分が嫌いだ…
相手の反応が怖い…
話したところで、どうなるのだろう…
「どうしても勇気が出ない…」
そんなときに出会ったのが、
樺沢紫苑さんの本『言語化の魔力』でした。「悩み解消の決定版」。
私は貪るように本にのめり込みました。
その中で、この言葉が、私の心をドーンと貫いたのです。
『「相談しよう」ではなく、「ガス抜きしよう」。問題の解決を目的とせず、ただ困っていること、悩んでいることなど、何でもいいので話すだけです。』
頭の思考回路がパチっと切り替わる音がしました。
「そっか、ただ心の内を話すだけでいいのか…」
そこには、技術も必要ありません。
話をきちんと着地させる必要もありません。
淡々と想いを話す「作業」と捉えれば、もしかしたら勇気すらいらないのかもしれません。
「そうか、『作業』をただ繰り返せばいいんだ」と思いました。
この練習を繰り返せば、いつか「実はめっちゃ困っているんだ、ハハッ」って、けろりと悩みを話せる自分がいるのかもしれない…
そんな自分に少しでも近づきたい、そう強く思いました。
心の内を話す練習をする
「よしっ…話そう」
私は、まずは妻に、今の心境をぽつりぽつりと話しました。
情けなさなど、今の心境を、正直に吐露したのです。
すると妻は優しく言いました。
「きっと、心の傷がふさがっていないんだね」と。
そのとき「あっ」と心がパチンと音を立てたのです。
「そっか、私は、職場復帰が怖かったのか…」そんなことに、妻の言語化で、初めて気づいたのです。
「調子が戻ったので、復職します!」
ずっとそう言いたい自分がいました。
だから、心は「職場復帰が怖い」と叫んでいたのに、私は心の声に気づかないフリをしていたんです。
けれど、心に嘘をつくことは、とてもしんどいこと。
妻の言葉で本心に気づけ、心が癒やされる感覚がありました。
次に、カウンセリングの先生に、正直な気持ちを話しました。
すると、先生はこのように言いました。
「頭で分かっていても、いざ現実の世界で実践に移すと、心が乱れ、体の症状に表れます。自分を責める必要は全くありません」と。
「あぁ、そっか…私だけじゃないんだ」と思いました。
皆それぞれの現実で、もがきながら、生きている。決して一人じゃないと思えたんですね。
そして、先生はこのようにも言いました。
「それでも、現実の世界で、実践し、もがきながらも、軌道修正を図ることは大切。その過程で、真の心の安定を得ることができる」と。
「そうか…」と思いました。
現実の世界で、自分の言葉を話す大切さを改めて感じました。
やはり、踏み出す必要がある、と思いました。
いや、踏み出して、胸を張り、生きたいと思ったんです。
そこで、私は、休職後初めて、会社の尊敬する方に連絡をとりました。
指は震え、胸も不安でいっぱいです。
けれど、
「思ったことを淡々と伝える訓練なんだ」と自らを何度も鼓舞し、連絡しました。
すると、スグにその方から返信がありました。
そこには、こう書いてありました。
「誰よりも、まずは自分で、これまで頑張ってきた自分を褒めてあげてください。ここまで、本当に頑張ったのだと思います」と。
私は嗚咽して、涙が止まらなくなりました。
私の苦しかったり、もがき続けてきたことを理解してくれる人がいる。
そんな人がいる奇跡に、感謝の想いがとめどなく溢れ出しました。
心の中に「受け止めてもらった安心感」と「弱みを打ち明けることができた前進感」が、じわーっと広がりました。
もちろん状況は大きく変わっていません。
けれど言語化することの癒やしは、想像を超えるものがあったのです。
ニット帽を脱ぐ自分を目指して
これから先も、悩み、苛立ち、心乱れることは沢山あると思います。
そのたびに、自分の弱さを責めることも、あるでしょう。
想像するだけで、とても不安な気持ちに駆られます。
けれど
「それはそれとして」
今やれることは、もう決まっています。
それは、
「自分の想いを打ち明ける」作業を淡々と繰り返すことです。
技術も勇気もいらない。
ただ想いを話す練習を繰り返すこと、それだけです。
いつの日か
「いやぁ、こんな情けない自分で、困っちゃうよ~」ってあっけらかんと言える日が来るのでしょうか?
まだ正直分かりませんが、
私は、未来の自分を信じたいです。
いつの日か、
ニット帽を脱ぎ捨て、
ありのままの素顔で、
胸を張り、堂々と世界を歩く、
そんな日が来ると信じて…
私は言語化を続けます。
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