「支配」に翻弄された大スターの半生から「幸せとは何か」考える(映画『ELVIS』の感想:★4.2)

映画

観ていて、心が苦しかった。
それは、
エルビス役のオースティン・バトラーの
自由を求め、
もがき、苦しむ演技が
光っていたからだろう。

「自由」がないスーパースター

エルビス・プレスリー。
誰もが知る、
ロックンロールの王様。
世界史上、最も売れたソロアーティスト。
エルビスがいなければ、
ビートルズもクイーンも存在しなかった。
 
けれど、
そんなエルビスには
一切の「自由」が許されなかった。
 
やりたい海外ツアーもできず、
会場とホテルに拘束される日々。
 
会場では、神様のような喝采を浴びるが、
部屋に戻ると、
虚しさに襲われ、
それを埋めるかのように、
薬や女に溺れるエルビス。
 
愛する妻と子も離れ、
そこに相次ぐ有名人の襲撃ニュースに
精神を病んでいく。
 
ショックだった。
この世の成功を一人で全て享受したようなスーパースターは、
全く自由もなく、
幸せに見えなかったのだ。
 
大大大成功者の彼が幸せになれないなら、
一体わたしたちは人生で何を目指すべきなのだろう?
「幸せとは何なのか」考えざるをえない。

「支配」がエルビスを苦しめる

エルビスの自由を奪ったもの。
それは「支配」だったように思える。
 
エルビスを大スターに押し上げた
強欲なマネージャーであるトム・パーカー。
 
ドル箱であるエルビスを手放さないよう、
トムはエルビスを巧妙に支配する。
エルビスの意思を排除し、飼いならすのだ。
 
エルビスは、何度も、
トムの支配から抜け出ようと、もがく。
社会的な批判を恐れず、
ライブで自らのパフォーマンスを敢行し、
世間からも絶大な指示を得る。
 
きっとトムから独立できるチャンスは何度もあった。
 
けれど、結局、
トムの支配から抜け出せなかった。
 
それは、エルビスにとって、
トムが、自分の親のような存在でもあったからだ。
精神的な支配の恐ろしさを垣間見た。

映画から得られる「人生訓」

先述したとおり、
エルビスの不自由さを見ると、
「幸せとは何か」考えざるをえない。
わたしは2つの人生訓を学んだ。

子どもを絶対に支配しない

1つは「子どもを絶対に支配しない」ということだ。
 
トムは、エルビスにとって、
親のような存在。
そんな存在だからこそ、
トムの精神的な支配から、
エルビスは自由になれない。
 
精神的には監獄に入れられたような気分になったのではないか。
 
わたしは、
子どもにそんな不自由を絶対に味わせたくない。
支配されるのでなく、
自分の意志で人生を歩んでほしい。
だから、子どもの意見は最大限に尊重したいと思う。

自分も絶対に支配されない

2つ目は「自分も絶対に支配されない」ということだ。
 
これは非常に難しいことだ。
一説によれば、
人間の意識の97%は
「潜在意識」が占めるという。
つまり、
自分でもコントロールできない潜在意識に、
私達の行動はほぼ支配されているのだ。
 
ネガティブな潜在意識を乗り越え、
本当の意味で自由になるのは、
一朝一夕では出来ない。
 
 
けれど、あきらめたくはない。
 
人間の潜在意識は、
「べき」という形で、
思考を狭めるという。
 
だから、
自分の「べき」を洗い出したい。
そして、
「べき」をひとつひとつ手放す訓練をしていきたいと思う。

私だけの幸せを見つけたい

エルビスの、
自由を求め、
もがく半生は、
観るものの心を掴み、離さない。
 
スケールは違えど、
誰かからの支配に苦しむ様など、
誰しも似たような経験はあるし、
得られる教訓はあると思う。
 
いくらお金があっても、
社会的地位があっても、
心の自由なしに、幸せはありえない。
 
世間的に大成功することが、
必ずしも「幸福」ではない。
 
自分だけの歌を見つけ、
人生を謳歌したいと思う。

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