「表現の尊さ」を教えてくれた映画(映画『線は、僕を描く』の感想)

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心に生きづらさを抱える私

「踏み出すことが怖い…」

私は、とても臆病な人間です。
他人の顔色や言葉、世間の常識やしがらみ…
自分の人生なのに、自分で手綱を握れず、がんじがらめになり、どう生きればいいか分からず、心を喪失した経験もあります。
告白すると、今もまだ、情けないくらいにビクビクし、一歩を踏み出せない自分が、心の中にいます。

主人公・霜介の喪失を癒やす「表現」

そんななか、映画『線は、僕を描く』を観ました。
心の中で堰き止められていたダムが一気に決壊し、涙がとめどなく溢れ、止まりませんでした。鑑賞中も、自分の胸のあたりをギュッと握りしめ、溢れ出そうな心を必死に鎮める自分がいました。

本作の主人公・青山霜介(横浜流星)は、表面上は明るく振る舞うものの、内面は、感情に蓋をし、心に喪失感を抱える大学生です。霜介は、どうしても、その喪失を受け入れ、前へ踏み出すことができません。

そんな鬱々と日々を過ごす霜介が出会ったのが「水墨画」でした。霜介は、スグに水墨画にのめり込みます。彼の友人が「サイコパスかよ…」という位に、霜介の部屋は、描き綴った紙で、壁も床も一杯になるのです。

霜介は、水墨画にのめりこみます

霜介を突き動かした「表現」の本質

私は、このとき思いました。
「なぜ霜介は、これほどまでに、水墨画にどんどんのめり込んだろう…?」
生きることに無頓着だった霜介を、そこまで惹きつけるものが何か、ずっと気になりながら、映画を鑑賞していました。

そして、その答えは、映画の最後のシーンで、ついにわかりました。そのシーンとは、霜介が「椿の花弁」を拾い上げる場面。この花弁は霜介にとっても深い悲しみを意味し、霜介は涙があふれて止まりません。そんな霜介に、同門の千瑛(清原果耶)は、次のように語りかけます。

水墨画を描こう。目の前に見える花でなく、心の中の花を

この言葉を聴いたとき、胸の中でパチンと弾けるものがありました。そして、こう思ったのです。「あぁ、そうか。霜介は、ずっと自らの心を筆で描いていたんだ」と。どうしようもないやるせなさ、一歩踏み出せない気持ちなど、霜介の中で堰き止めていた心の叫びが、一気に噴出し、その想いを筆に刻んでいたのではないか、そう思ったのです。気づけば、私も「表現のあまりの尊さ」に涙で顔がぐちゃぐちゃになっていました。

同門の2人が「自らの線を描く」と決意した瞬間です

表現が霜介に「命」を吹き込む

映画のラストでは、霜介は、前半と比べ、明らかに前を向き、表情にも生気にみなぎっています。なぜ水墨画との出会いが、霜介の喪失を、ここまで回復させることができたのか。私は「霜介が心の本質に触れたからでは」と思っています。

少し話がそれますが、自己肯定感の第一人者・中島輝さんの言葉に、こんな言葉があります。

あなたがどれだけ自分を否定しても、あなたの心臓はいつも鼓動を打ち、暑くなれば汗をかき、寒くなれば鳥肌が立ちます。誰がなんといおうと、あなたの心と体は、あなたの価値を認めているのです。

どんなに生きることに希望が見いだせなくても、どんなに自分に価値がないと思っても、「心」だけは、いつだって自分の価値を認め、希望を求めてやまない、と私は解釈しています。霜介は、水墨画を描き、自分の心と向き合う中で、心が持つ強い欲求に触れたのではないでしょうか。それは「命に触れた」といっても過言ではないと思います。命が持つ「生きたい」という力強さに触れ、霜介は、再び前進する力をもらったのだと思うのです。

水墨画は筆先から生み出す「線」のみで描かれる芸術。描くのは「命」

『線は、僕を描く』公式パンフレットから引用

霜介は、自らの線で、人生を歩み始めます

私は「表現」したい

エンドロールも終わり、館内の照明がつき、涙でぐちゃぐちゃになった顔のまま、私はひとり座席から動けませんでした。心の中には、1つの想いが、どうしようもなく私の心を駆り立てていました。

「表現したい。とにかく表現したいんだ」と。

私は「書くこと」が大好きです。20歳から日記を始め、早十数年。心の喪失を経験し、何もやる気が起きず、ひきこもる生活をする中でも、「書く」ことだけはやめませんでした。そして、今、ブログを始め、「書くこと」が私の生きる「よすが」とすらなっています。

「なぜ、こんなに書き続けるのか」その理由が、映画を観て、今はハッキリ分かります。私は、言葉を書くことで、自分の心を見つけたかったんです。迷子になっている心を見つけ出し、その声を、文章として紙に綴り続けていたのです。その作業は、自己表現でもあり、自己内省でもあり、心を救う作業でもあったのですね。

冒頭で書いたとおり、私の中には、一歩踏み出せない自分がいます。私も、霜介のように、前へ踏み出すことができるのか、正直、不安はとてつもなく大きいのです。そんなとき、この映画のタイトルに目が止まりました。

「線が、僕を描く」

「僕が線を描く」のでなく「線が僕を描く」のです。
霜介の水墨画の師となる篠田湖山(三浦友和)は、次のように「線の教え」を説きます。

自分がこれまで生きてきた人生、感じてきたものすべてがその人の描く線に表れ、その線はさらに新しい自分へと導いてくれる

『線は、僕を描く』公式パンフレットから引用

この「線の教え」を、私は信じたいと思います。きっと、私の線を描き続けることが、私の人生を導いてくれると信じ、魂を込め、私の言葉を書き続けたい、そう思うのです。

線が、僕を描くと信じて
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