「結局、自分が悪いから」
そう言う私に、
妻が言った。
「過去の話になると、
どうしても自分を責めちゃうね」
ハッとした。
自分を否定していることに、気づかなかった。
私は、仕事を頑張りすぎ、
ストレスから心身の調子を壊し、
休職した。
この1年半、
ひたすらに、精神科医・樺沢紫苑さんの教えを実践してきた。
朝散歩、
3行ポジティブ日記、
ジョギング、
情報発信…
「もうあのときの自分ではない」
「自分は変わったんだ」
誰かにそう言いたくて、
自分にそう言い聞かせたくて、
躍起になり、
自分を変えようとしてきた。
その根源には
「過去の自分を否定する」
気持ちがあったのかもしれない。
過去の自分。
「私は
何を見て、
何を想い、
生きてきたのだろう?」
どうしても、
自分のルーツを辿りたくなった。
そこで、妻にお願いし、
ひとり、旅に出た。
(快くOKしてくれた妻には、本当に感謝している)
行き先は、兵庫県宝塚市。
小学~中学の幼少期を過ごした場所だ。
とにかく歩いた。
当時住んでいたマンション、
通っていた小学・中学校、
通学路、
よく遊んでいた公園…
すべて歩いた。
2万5千歩/日は歩いただろうか。
変わっているものもあれば、
全く変わっていないものもある。
変わらずにいてくれた景色が、
「おかえり」と言ってくれ、
強張った心をほぐしてくれた。
元家の最寄りの駅
「中山観音駅」に着き、
ホームのベンチに座った。
そこで、
不思議な体験をする。
対面のホームに、
通学する中学生の自分が見えたのだ。
電車で通学していた中学生の私。
成長期はまだで、
背は150cmくらい。
制帽をキッチリと目深に被り、
(置き勉はしないから)
体と同じくらいの大きなリュックを背負い、
マジメそうな顔で、
口をキュッと結び、
こちらを見ている。
そのとき、思った。
「私は、
こんなにがんばっている彼を、
否定していたのか…」
思えば、
小さいときから、
ずっと頑張ってきた。
転勤族のため、
小~高校で4回の引っ越し。
新たな環境に溶け込むのに、
いつも必死だった。
中学では、
ひ弱だったが、
毎日3~5kmを走りこみをし、
10kmを走れるようになった。
高校では、
運動部に所属するも、
まったく上達せず、
惨めで、苦しい想いもした。
大学では、
何かを変えたくて、
英国の交換留学にチャレンジし、
世界観がバッと広がった。
そして社会人になり、
会社のため、
自己成長のため、
自ら手を挙げ、
見知らぬ環境に飛び込んだ。
もともとが不器用で、
うまくいかないことばかりだった。
それでも、
やり抜こうと、
睡眠を削り、
トライを続けた。
これの何が悪いのか。
むしろ、
めちゃくちゃ頑張っているじゃないか。
傷だらけになり、
それでも歯を食いしばり、
前に進もうとする「彼」を、
お前は否定するのか。
「変わらなきゃダメだよ」
「マジメじゃ損するよ」って
知った顔で、「彼」を否定するのか。
そんなの、おかしいよ。
だって「彼」は、
こんなにも頑張っているじゃないか。
チャレンジしているじゃないか。
一生懸命じゃないか。
キツいのに歯を食いしばっているじゃないか。
後ろめたさを感じる必要なんてない。
罪の意識を感じる必要なんてない。
人には分からないかもしれない。
でも、お前は、
「彼」が、良い人生を目指し、
少しずつ少しずつ、
苦しみながらも歩みを進めていることを、
誰よりも知っているでしょう?
お前だけは「彼」を否定するな。
世界中が「彼」をけなしても、
お前だけは「彼」を全力で守れ。
駅のホームのベンチで、
涙があふれ、
おえつし、
立ち上がれなくなった。
「彼」を否定してきたことが、
辛かった。
「本当にごめんね…」と
「彼」に伝えるのが精いっぱいだった。
人は、
失敗を経験すると、
繰り返さぬよう、
自分を変えようとする。
成長しようとすることは、
素晴らしいことだと思う。
けれど、
そのプロセスで、
過去の自分を否定していないか。
傷つけていないか。
過去の自分は、
未熟なりにも、
努力し、
苦悩し、
もがいてきたはずだ。
そんな経験や、
背後の努力を知っているのは、
他の誰でもない
「私」だけでしょう?
私だけは「わたし」を否定してはいけない。
全力で守らないといけない。
過去の自分と出会い、
心の中で、
やさしく、
温かい雨が降り注ぐ感覚があった。
「彼」を否定しないことが、
過去の自分を癒やし、
自分を受け入れる
大切なプロセスなのかもしれない。
そんなことを実感できた、
初夏の兵庫だった。
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